犬の肥満細胞腫
犬の肥満細胞腫
肥満細胞腫は、犬の皮膚や皮下に多くみられる悪性の腫瘍です。同じ肥満細胞腫でも、手術で簡単に治ってしまう悪性度の低いものから、急激に進行する悪性度の高いものまで、かなりのバリエーションがあり、腫瘍の悪性度により治療法もさまざまです。
肥満細胞腫とは、体の中の“肥満細胞”という細胞が腫瘍化して無制限に増殖して皮膚や皮下にできものを形成したり、リンパ節や全身に転移してしまう 病気です。“肥満細胞”とは、体の中の免疫細胞の一種で、外からの異物に対して炎症反応やアレルギー反応を起こす役割をしています。肥満細胞の中には、 炎症を起こすヒスタミンと呼ばれる物質がたくさん蓄えられており、体に異物が侵入してくると、肥満細胞がヒスタミンを放出することにより正常な異物反応がおきます。この肥満細胞の腫瘍が肥満細胞腫です。ヒスタミンは、周囲に炎症を起こしたり、全身に回って胃潰瘍を起こしたりします。腫瘍細胞もヒス タミンを持っているため、肥満細胞腫のしこりを触ると急に腫れたり、肥満細 胞腫が進行すると全身がだるくなったり、胃潰瘍を起こしたりします。また、 腫瘍組織から突発的にヒスタミンが放出されると、急激にショック状態になる こともまれにあります。
基本的には悪性ですので、放置してよい腫瘍ではありません。早期に切除 すれば完治するものが多いのですが、中には全身に転移して命を脅かす悪性度 の高いものもあり、一口に肥満細胞腫といっても、その悪性度にはかなりのバリエーションがあります。腫瘍の悪性の度合いのことを“グレード”とよびま すが、肥満細胞腫はその悪性度により 3 つの“グレード”に分類されます。
グレード 1:最も悪性度が低い肥満細胞腫です。大抵は皮膚の表面にでき た 1 cm以下のしこりで、周囲への浸潤もあまりしないため、簡単な手術で切除すれば治ります。
グレード 2:中間くらいの悪性度の肥満細胞腫です。大抵は体の他の部位 に転移することはなく、腫瘍のかたまりを完全に取り切れば治るのですが、時々 付近のリンパ節や、おなかの中の臓器(脾臓・肝臓など)、全身の皮膚などに転 移することがあります。また、周囲の正常組織に浸潤するため、完全に取り切 るためには、肉眼的なかたまりだけでなく、周囲組織を広くつけて切除する必 要があります。
グレード 3:最も悪性度の高い腫瘍です。成長も早く、急速に進行します。 通常は診断時には、リンパ節やその他の臓器に転移していることが多く、腫瘍 を手術で切除しただけでは根治には至りません。最も治すのが難しい肥満細胞腫です。
肥満細胞腫の治療法や予後は、グレードによって異なります。
<診断>
・細胞診
肥満細胞腫と診断するために、まずは細胞診という検査を行います。 細い注射針を使って細胞を採取し、顕微鏡で検査するものです。痛みはほとんどありませんので、麻酔なしで簡単に実施可能です。肥満細胞腫の細胞は特徴的なので、通常はこの検査のみで診断が可能です。また、細胞の見た目からある程度悪性度を予測することも可能で、グレードの判定に役立ちます。
・転移チェック
次に、付近のリンパ節や体の他の部分に腫瘍が転移していないかをチェックします。リンパ節にも前述の針を用いた細胞診を行い、腫瘍細胞がリンパ節の中に入っていないか検査します。リンパ節への転移が見つかっ た場合には、その他の臓器の検査も行います。胸腔内の検査には X 線検査を、 おなかの中の検査には超音波検査を用います。どちらも麻酔は不要で、当日行える検査です。
・CT 検査(外部委託)
原発巣の腫瘍が切除しにくい場所の場合には、CT検査という体の 断面図をみる検査を行うこともあります。CT 検査は、取り残しのない確実な手術を計画するために行うもので、麻酔をかけて撮影します。
・遺伝子検査
細胞診と同様に、針を用いて細胞をごく少量採取して、腫瘍細胞の遺伝子異常を調べる検査です。治療の項目で詳しく説明しますが、c-kit という遺伝子に変異があるかどうかで、腫瘍の悪性度や治療薬の効きやすさを予 測するのに役立ちます。
<治療法>
肥満細胞腫の治療はグレードや診断時の進行具合によってさまざまですが、 外科手術、放射線療法、内科的治療の中から最も適切なものを組み合わせます。
・外科療法
まだ転移していない肥満細胞腫の多くは適切な外科手術で根治できます。 ただし、グレードが2 以上の肥満細胞腫は、目に見えないレベルで腫瘍細胞が周囲の組織に浸潤しているため、肉眼的な腫瘍の輪郭に沿って切除しても、顕微鏡レベルで取り残してしまい、術後に再発する原因となります。完全に切除するためには、腫瘍の周囲 2~3 cmの正常組織をつけた状態で腫瘍 を摘出する必要があります。
〜当院での治療写真〜
・放射線療法(外部委託)
外科手術だけでは腫瘍が完全に取り切れない場合には、残存した腫瘍細胞を根絶するために放射線療法を用います。放射線療法とは、強力なX 線で体の中の腫瘍細胞を殺傷する治療法で、正常細胞と腫瘍細胞の X 線に対する感受性 の違いを利用した治療です。肥満細胞腫は放射線感受性が高く、正常細胞が耐 えられる程度の X 線で死滅します。正常細胞が耐えられる程度の量のX線を何 度も繰り返し病巣周辺に照射することで、正常組織を温存したまま、残存腫瘍 を根絶する治療法です。顕微鏡レベルで取り残した肥満細胞腫では、約 85~ 95%の確率で局所再発を予防する効果があります。ただし、もともとの腫瘍細 胞の数が多すぎる場合には、放射線を照射しても腫瘍細胞の中に生き残りがで る確率が高くなりますので、手術前の肉眼的な腫瘍塊を放射線のみで治療して も根治は見込めません。手術が不可能な肥満細胞腫を 縮小させたり、一定期間成 長をコントロールするため に用いることもありますが、 根治を目指す場合には可能 な限り手術で肉眼的に取り 除いてから放射線治療を実 施します。
放射線治療には、小線量を計15~20 回にわたって照射する方法(根治的放 射線治療)と、大きめの線
・内科療法(全身療法)
注射薬や飲み薬によって全身を治療する方法で、肥満細胞腫が全身に転移 してしまった場合や、グレードが高く将来的に転移病変が出てくることが予想される場合に用いられます。上記の外科手術と放射線療法はどちらも局所療法なのに対し、内科療法は全身治療ですので、全身を一度に治療できる代わりに、 局所での効果は手術や放射線治療ほど高くありません。
肥満細胞腫に対して効果のある薬剤として、以下のものが挙げられます。
ステロイドホルモン剤:ステロイドホルモンは、炎症やアレルギー反応を抑 えるために使われる薬で、肥満細胞の増殖を抑えたり、ヒスタミンの放出を抑制する効果があります。肥満細胞腫に対しても腫瘍を縮小させる効果があり、 薬自体安価で副作用も少ないため、治療の一部として多く用いられます。ただし、治療効果はあまり長続きしないため、単独で用いられることはなく、他の抗がん剤などと一緒に用いられます。
抗がん剤:細胞分裂を阻害することで腫瘍をコントロールする薬剤です。肥満細胞腫に対しては、ビンブラスチンやCCNUといった薬剤が用いられ、どちらも犬において比較的安全に使用できる薬剤ですが、投与は動物病院内で行います(2~3 週間に 1 回)。腫瘍細胞だけでなく、正常な体の細胞の一部も増殖 が阻害されるため、副作用に注意する必要があります。
分子標的薬:一般的な抗がん剤とは違い、腫瘍に特異的な増殖メカニズムを ターゲットにしてそれを阻害する薬剤です。犬の肥満細胞腫では、c-kit という 遺伝子に異常があると、肥満細胞の増殖が無制限に起こり、肥満細胞腫の発生の原因になっている場合があります。このkitの働きをブロックする薬剤を使う ことで、肥満細胞腫の細胞を選択的に抑制することができます。ただし、特定の分子をピンポイントにターゲットにするため、効く・効かないがはっきりしています。分子標的薬が効くかどうかは、c-kit 遺伝子の検査で調べることが可能ですが、遺伝子異常がなくても分子標的薬に反応する場合もあるため、遺伝子検査だけでなく、実際に薬剤を投与して腫瘍が縮小するかどうかで判断する方が確実です。犬の肥満細胞腫に用いられる分子標的薬には、イマチニブ、トセラニブ、マシチニブなどがあり、すべて自宅での内服薬になります。
<予後>
肥満細胞腫の予後は、グレードと進行度によって大きく異なります。グレード1の肥満細胞腫では、外科手術のみで根治することがほとんどです。グレード 2 においては、広範囲な切除(不可能な場合は術後放射線治療を併用)が必要になりますが、転移率自体は低く、8 割程度の患者は局所治療のみで根治します。ただし、一部のグレード 2ではリンパ節転移を起こすため、経過には注意が必要です。グレード 3の肥満細胞腫では予後は厳しく、適切な治療をした場合でも平均的な生存期間は 6 か月程度とされています。ただし、最近では外科手術の技術や放射線治療器の性能の進歩と、新たな分子標的薬の開発などにより、グレード 3であっても治療オプションが増え、治療成績の向上が期待されています。(北海道大学動物医療センター資料一部引用)